タカ・ツーリスト/江の島編PART3~中津宮

前回は「辺津宮」前が終着点でした。今回は「中津宮」を目指すツア-です。

では左側に行きましょう。御守りの授料所と幟が立っているお堂が

見えますねぇ。

授料所の前を巫女さんが歩いていますねぇ。

私はここで「勝負運・開運招福・金運・仕事運」に御利益がある

「八臂妙音弁財天御守」を授料して頂きました。

お堂の入口は左側みたいなので行ってみましょう。

ここには「江島弁財天」が祀られているみたいです。

当日は「七夕祭」の最中なので笹が飾られていました。

入口はこの先の右側みたいなので行ってみましょう。

ここが日本三大弁財天が祀られていて鎌倉七福神でもある「八臂・妙音弁財天」

の二柱が祀られているお堂左側の案内と幟が立っています。

入口に近づくと右側に説明がありました。

ここのお堂は「泰安殿」といい広島の「宮島」滋賀の「竹生島」に並び古くから

日本三大弁財天として信仰されてきたそうです。

以前は「武人守護」の神だったそうですが泰平の世の中になり、次第に

「芸能・音楽・知恵」そして「福徳の神」として信仰されるように

なったと説明されています。

ここ泰安殿には勝運祈願の神「八臂弁財天」と音楽芸能の神「妙音弁財天」の

二柱が祀られているそうですよ。

本堂は撮影禁止ですが左側に拝観料の説明と共に「弁財天」の写真が

ありましたのでご覧下さい。

入って直ぐ右側に受付がありますので拝観料を納めて進みましょう。

右側に願立ての「白い巳さま」があり初穂料を納めて裏側に願い事を

書いて中の弁財天さまに納めます。

小さいので一文字しか書けないので願い事の表があり財産なら「財」と

書くと明記さえれていますので望みのねがいを書いて納めてみては

どうですか?

私は行いましたが願い事は他人に言う事ではないそうなので伏せておきますね。

では本堂に進んでお参りと「白い巳さま」を納めに行きましょう。

ここから先は撮影禁止なので申し訳ございませんが私だけお参りしてきます。

お参りが済み出てきました。

入当たり前ですが入口の写真通りの弁財天「二柱」が祀られていましたよ。

では左側の出入口に進みましょう。

出入口を出て一礼「して右側に行きましょう。

進んだ直ぐ右側に祠が見えてきました。

手前に説明がありますので確認してみましょう。

この祠は「八坂神社」で祀られてるのは「建速須佐之男命」で「八岐大蛇」を

退治した事で有名で「江島神社」の三女神と深い関係があるそうです。

最初は腰越の「小動神社」に祀られていたそうでが大波によって流されて

江の島の漁師によって引き上げられて島内に祀られるようになったと

伝えられているとの事です。

朱色の鳥居にあった神輿は伝説を伝承する為に毎年7月に行う

「江の島天王祭」で使用し神輿を担いで海に入った後に江の島から腰越まで

練り歩くそうですよ。

この時期にしか神輿が見れないようなので御利益が増幅するかもしれませんね。

隣にも説明があり旧称は「天王社」だったそうで「江の島天王祭」はここから

きているのですね。

「建速須佐之男命」は神仏習合時には「牛頭天王」と呼ばれたそうで

「江島神社三女神」の父神だそうで確かに深い関係ですね。

ごりやくは疫病を始めとする「あらゆる災難」から守って下さるそうです。

余談ですが「建速須佐之男命」は謎が多い神で「天照大御神」と「月読命」の

弟神で「天照大御神」は太陽(昼間)「月読命」は月(夜)を司る神ですが

「建速須佐之男命」は天体の神としては「謎」だそうです。

神話では「建速須佐之男命」が高天原(天界)で次々と粗暴を働き

「天照大御神」が「天岩屋」に閉じこもったとされ暴風などの

神とされていたり先程の「八岐大蛇」をたいじし英雄になったり

「月読命」と重なる部分もあり同一神との記述もあるそうです。

何はともあれ今は神として祀られていますのでお参りに行きましょう。

では正面でお参りしましょう。

先程の説明に並んで「江の島天王祭」の詳細もありましたので入口の

神輿と共に載せておきます。

お参りを済ませたら正面の御朱印所を右側に行きましょう。

隣にまた祠がありますねぇ。

行ってみましょう。

左側に看板があり「稲荷社」と「秋葉社」だそうです。

説明はありませんが江の島内にあった別々の祠の合同社だそうで

「秋葉社」には火を司る「火之迦具土神」が「稲荷社」には食物や穀物を

司る「豊受気毘賣命」がそれぞれ祀られていて

火事災難に合わない事と食べ物に不充しない御利益があるそうです。

ではお参りしましょう。

江の島でも意外と見落とす場所だそうなので御利益が叶い易いかも

しれませんよ。

済みましたら振り返ると何やら童子の看板と手前に置物がありますねぇ。

近づいて見ると重要文化財「八臂弁財天」と龍が飾られていました。

その先には「中津宮」の行先案内がありました。

右側には小さな祠と石碑があり「宗国伝来の石碑」だそうで殆ど読めなくなって

祠を作ったそうです。

鳥居の手前右側に何か浮いている石鉢がありますので階段を下って

行ってみましょう。

「宝船水みくじ」でした。私はやりませんでしたが皆さんは運試しに

如何でしょうか。

では鳥居をくぐり一礼しましょう。

階段を下って右側に「猿田彦大神」の石碑がありました。

石塔の手前に説明があり天孫「ににぎのみこと」が降臨の際に「高千穂」まで

道案内をした神様で天保3年(1832年)に建てられた「庚申塔」の

一つだそうです。

ちなみに猿田彦は桃太郎の家来のモデルとも言われています。

ここを中津宮方面の「御岩屋通」を右側に行きましょう。

左側に猫の置物があると思いましたが本物でした(#^.^#)

カメラを向けても逃げないでポーズしたままで撮影後に移動しました(^^)/~~~

まだ右側には紫陽花が咲いていて下の石鉢に花が活けてありました。

その先に人だかりがあり行ってみると池には亀が「甲羅干し」していて

こちらも本物でしたよ。

先に進みましょう。

中津宮の案内通り階段を登って行きましょう。

階段を登った先に石碑と神木がありますねぇ。

見づらいですが説明があり「江島辨財天女上宮之碑」だそうです。

弁財天が江の島に降臨した後に役行者によって霊場として開かれ

平安時代に天台座主「慈覚大師」によって「上之宮(現在の中津宮)」が

創建されたと記されているとの事です。

では右側の階段を登りましょう。

登った先に本宮が見えてきました。

手前の石灯籠に「中村座」と彫られていますねぇ。

その先に手形と石灯籠がありました。

手形は江の島歌舞伎とあり五代目「尾上菊之助」と七代目「尾上菊五郎」の

ものだそうです。

平成11年(1999年)に五代目「尾上菊之助」と七代目「尾上菊五郎」主演の

江の島歌舞伎が盛大に開催され江の島ゆかりの「弁天娘女男白波」を

演目したそうです。

手形の隣に開演に先立ち弁財天に詣でた際に献樹された「しだれ梅」も

ありました。

石灯籠は天明2年(1782年)に江戸堺町の中村座が奉納したそうです。

手形の手前に参道を挟んで左右に「市村座」の石灯籠がありました。

安永2年(1777年)江戸葺屋町の「市村座」が奉納したそうです。

では本殿に行きましょう。

手前に説明があり「中津宮」の御神体は「市寸島賣命」が祀られていて

853年に慈覚大師によって創建さ明治時代まで「上之宮」と呼ばれて

いたそうです。

現在の社殿は1996年に全面改修され創建当時の朱色が鮮明に再現されて

いるとの事です。

本殿の左側には本殿の造りの説明がありました。

では参拝しましょう。

御利益は「芸能向上」「商売繫盛」「美」だそうです。

今回はここが終着点です。

今回も辺津宮から「エスカ-」を使った別ルートを掲載します。

先ず辺津宮まで戻りスタートしますが途中ルートが重複しますが

ご了承下さい。

ここから徒歩と同様に左側に行きます。

「泰安殿」を右手に見ながら進みます。

「八坂神社」と「稲荷社」「秋葉社」を右手に見ながら鳥居を目指します。

鳥居をくぐり右側に行きます。

右側に曲がり真っ直ぐ行きます。

階段の手前に「エスカ-2」の入口があります。

ここから自動改札機に乗車券のQRコードをかざして乗ります。

ちなみに交通系カードでも乗車可能ですが自動改札機は別なので

注意して下さい。

では乗りましょう。

今回は一台で「中津宮」に到着しました。

右側に説明看板がありますねぇ。

喜多川歌麿作「風流四季の遊」12枚の一枚で「弥生の江之島詣」だそうです。

現在確認されているのは9枚のみだそうですよ。

エスカ-に乗らないと見逃すところでしたねぇ。

別ルートもここで終着点です。

次回はさむえる・コッキング苑及びシーキャンドルを目指すツア-ですので

またの参加(閲覧)を宜しくお願い致します。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ:

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA