タカ・ツーリスト/江ノ電編PART7~極楽寺

前回は「成就院」下の案内看板前が終着点でした。

今回はここから極楽寺に向かうツア-です。

では「極楽寺坂切通」を行きましょう。

右側朱色の橋が見えてきました。

ここを右側に行きましょう。

「櫻橋」という名なので朱色の橋なのですねぇ。

では渡りましょう。

橋の下は川ではなく「江ノ電」が走ってます。

ここは中村雅俊さんの「俺たちの旅」の続編「俺たちの朝」のロケ地でした。

主演は勝野洋さん・長谷直美さん・小倉一郎さんでドラマ内でよく

橋の上から長谷駅方面に向かう写真のショットが使われていました。

橋を渡った右側に祠があります。

ここの本尊は「導地蔵」で「極楽寺地蔵」とも言われていて文永4年(1267年)に

極楽寺の開基「忍性僧」が運慶作の地蔵像を安置したのが始まりだそうです。

兵火により当初の地蔵は焼失し現在は「室町時代」の作だそうですよ。

古くから地蔵の視野に入る子供は災難が起きないとされ「子育て」に

霊験あらたかな事から「導地蔵」と呼ばれきたそうです。

また「鎌倉二十四地蔵」の一つでもあるそうです。

右側に「真言」がありますので唱えながら参拝しましょう。

お堂の隣にもお地蔵様が祀られています。

こちらも参拝しましょう。

参拝が済みましたら極楽寺の前に「月影地蔵」に行きましょう。

この場所から真っ直ぐ進みましょう。

右側の「盛華園」は穴場の町中華だそうですよ。

先に大きな白い建物が見えてきましたが何でしょうかねぇ。

鎌倉市立稲村ケ崎小学校でした。3階部分に連絡通路があるなんて

珍しいですねぇ。

ここを連絡通路の下を行きましょう。

この先を道なりに左側に進みましょう。

カーブミラーを左側に行きましょう。

この先を道なりに右側に進みましょう。

僧侶とお会いしましたのでご挨拶しました。

更に先に進みましょう。

左側にお墓と石碑が見えますので行ってみましょう。

ここが「月影地蔵」でした。

元々は現在より更に奥の月影の谷の鎌倉時代の女流歌人で青春時代に失恋し

出家した阿仏尼邸にあった地蔵像を現在地に移したそうで現在の像は江戸時代の

ものだそうです。

「鎌倉二十四地蔵」の一つだそうで御利益は「子育て」だそうです。

本堂に向かって左側にお地蔵様が並んでいますねぇ。

一礼して本堂に向かいましょう。

本堂手前の右側にもお地蔵様が祀られていました。

では本堂でお参りしましょう。

月影地蔵には言い伝えがあり「北条業時」の御所に仕える母娘が住んで

いたそうです。

母親は気性が悪く心に「よこしま」な処がありましたが娘の「露」は

気立てもよく親思いだったそうです。

ある時母親が井戸端で高価な白磁の皿を割ってしまい娘の露が進んで

自分が割ったと申し出たそうですが北条業時が親子に暇を出しますが

その時になって母親が白状しました。

時既に遅しで母親は追放になりました。

娘の露は業時が預け先を探し「梅小紋の小袖」を与えたそうです。

しかし母親が奪い取り何処に流れたそうです。

露を預かった屋敷は大切に遇してくれたそうですが母親と別れた悲しみに

くれ遂には体調を崩し病に倒れ幼くして逝ってしまい辺りの人々が

憐れみて露が生まれた「月影の谷」に小さな墓を建てたそうです。

いつしか墓に「梅の木苔」がビッシリと生えて一度も袖を通さなかった

「梅小紋の小袖」を「月影地蔵」の情けに違いないと噂していた

そうだったとの事だそうです。

衣は変色していますが赤だそうです。

お参りが済みましたら極楽寺に向かいましょう。

ここを右側に戻りましょう。

道なりに左側に進みましょう。

今度は道なりに右側に進みましょう。

このまま右なり進みましょう。

今度は道なりに左側に進みましょう。

稲村ケ崎小学校まで戻ってきました。

更に戻りましょう。

導き地蔵の祠まで戻ってきました。

祠の前を右側に行きましょう。

右側に「極楽寺」の入口が見えてきました。

ここを右側に行きましょう。

極楽寺の山門の手前に説明があります。

奈良の「西大寺」の叡尊門下で戒律を学んだ「良観房忍性」が弘長2年(1262年)

北条業時に招かれ「多宝寺」住職を経て文永4年(1267年)に開山として

迎えられたそうです。

極楽寺自体は正元元年(1259年)深沢で創建され北条重時が現在地に移転した

そうですよ。

かつては子院や病院まであって広大だったそうです。

では山門の右側の入口から入りましょう。

では本堂に向かいましょう。

この時期は桜が咲いていましたが桜に隠れていますが右側に祠が見えます。

右側に行ってみましょう。

ここは太子堂で「鎌倉観音霊場第二十二場」だそうです。

では参拝しましょう。

参拝が済みましたら反対側の建物に行ってみましょう。

ここは客殿だそうです。

先に進むと今度は右側に桃色の祠がありました。

ここは「転法輪殿」だそうで仏が説法を行う場所だそうですが現在は

宝物殿だそうです。

中には木造釈迦如来像など重要文化財が納められていて気候や湿度の問題で

春4月25日~5月25日と秋の10月25日~11月25日のみ10:00~16:時まで

御開帳しているそうで雨天中止だそうです。

拝観料は300円だそうです。

では先に進みましょう。

本殿の右側に茶臼と石鉢があります。

「千服茶臼」と「製薬会鉢」と言うそうで「良観房忍性」は薬学にも

精通していて「施薬悲田院」や「癪病所」の柱古救済事業をなした時に

使用されていた唯一の遺品だそうです。

そういえば「良観房忍性」は土木にも長けていて先程通ってきた

「鎌倉坂切通」にも携わったそうですよ。

では本堂に向かいましょう。

本堂には真ん中に「不動明王坐像」向かって右側に「薬師如来坐像」

向かって左側に「文殊菩薩坐像」が祀られていて右奥には開山の「忍性像」

左奥には忍性の師匠の叡尊「興正菩薩」が祀られて更に十大弟子が祀られて

いるそうですが釈迦誕生の4月8日を挟んで4月7~9日の間だけ御開帳

だそうです(要焼香購入)。勿論撮影禁止だそうです。

御利益は「子育て」と「病気回復」だそうなので参拝しましょう。

参拝が済みましたら戻りましょう。

右側に「納経受付」がありますので石畳に沿って行ってみましょう。

御守りや御朱印受付などを行っていました。

私は干支御守りを頂きました。

「納経受付」の先に建物がありますねぇ。

ここは「資料館」だそうで一般公開してないようです。

またこの先は稲村ケ崎小学校の裏手に繋がっているそうで忍性の墓とされている

忍性塔とういう宝塔があるそうですが、ここも本堂の御開帳時期に

公開だそうです。

極楽寺自体も稲村ケ崎小学校まであったそうで大規模な寺院だったみたいで

すねぇ。

では戻りましょう。

先程の「転法輪殿」の脇に説明看板がありますねぇ。

先程は桜の木で見えませんでしたが「八重一重咲分け桜」だそうで

「北条時宗」が植えたとされていて現在はふるかぶから発生した

桜だそうです。

では山門に向かいましょう。

では右側の出口から外に出ましょう。

出ましたら一礼して駅に向かいますので左側に行きましょう。

正面の「導地蔵」を右側に行きましょう。

朱色の「櫻橋」を渡りましょう。

橋を渡ったら右側に行きましょう。

右側に看板がありますねぇ。

手前は江ノ電のトンネルの説明で「極楽洞」という名だそうです。

隣に碑があり下に詳細説明もありました。

正式名称は「極楽洞・千歳開道」で江ノ電唯一のトンネルだそうです。

江ノ電は明治35年(1902年)に開業し「極楽洞」は明治40年(1907年)に施工され

先程見た藤沢側には「極楽洞」で鎌倉側には「千歳開道」と

確かに「極楽洞」とありますねぇ。

では駅に向かいましょう。

ここを右側に行くと「極楽寺駅」です。

左側にに案内看板がありますので行ってみましょう。

極楽寺駅は「第3回関東の駅百選認定」の碑で江ノ電の明治35年(1902年)の

開業からほぼ当時の路線で営業してい最古だそうで

極楽寺駅は明治40年(1907年)に施工されたそうです。

ではホ-ムに向かいましょう。

今回はここが終着点です。

次回はここから江ノ電に乗って江ノ島に向かうツア-です。

次回も参加(閲覧)を宜しくお願い致します。


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